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東京地方裁判所 平成7年(ワ)301号 判決 1997年2月04日

原告

髙橋紀美

右訴訟代理人弁護士

花輪弘幸

被告

日本自転車振興会

右代表者会長

宇賀道郎

右訴訟代理人弁護士

風間克貫

畑敬

山田洋一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する平成五年五月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告が原告に対して平成五年五月七日付をもってなした専任の守衛業務を命ずる旨の配転命令は無効であることを確認する。

3  被告は、原告に対し、平成四年五月二六日成立した東京地方裁判所平成二年(ワ)第九九一二号事件の訴訟上の和解の内容たる別紙和解条項第一項1(1)ないし(4)、同3(1)及び(2)、同5(1)に記載された各業務に直ちに就労させるべき義務があることを確認する。

4  訴訟費用は、被告の負担とする。

5  1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1(1)  被告は、自転車競技法により設立された特殊法人である。

(2)  原告は、被告との間で、昭和四三年九月、被告の一部門である静岡県田方郡<以下、略>所在の日本競輪学校(以下、単に「競輪学校」という。)で就労する旨の雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結した。

2(1)  原告は、本件雇用契約に基づき、競輪学校の栄養士として勤務し、昭和四四年一二月には衛生管理者の資格を取得し、同四六年八月には、競輪学校の衛生管理者に選任されて、栄養士及び衛生管理者としての業務を遂行してきた。

(2)  被告は、原告に対し、平成二年五月、栄養士及び衛生管理者の業務を解いて他の業務(雑草刈等)に移す旨の配転命令を発した。

(3)  原告は、右配転命令を不服として、平成二年八月、本件原告を原告とし本件被告を被告として配転無効確認等請求訴訟を提起し、この訴訟は、東京地方裁判所平成二年(ワ)第九九一二号事件(以下「旧事件」という。)として事件係属した。

3(1)  原告と被告は、平成四年五月二六日、旧事件において、別紙和解条項記載のとおりの内容で訴訟上の和解(以下「本件和解」という。)をした。

(2)  本件和解は、被告が原告に対する配転命令の無効であることを確認し、原告に対して就労させるべき業務内容を確認する趣旨のものである。

4(1)  被告は、原告に対し、本件和解が成立した後、本件和解で確認された業務のうち、別紙和解条項第一項3(3)、4(1)及び4(2)の各業務(主として清掃業務)を命じたが、その余の業務については、原告の再三再四の要求にもかかわらず、原告の就労を拒否している。

(2)  原告は、平成五年二月、本件原告を申立人とし本件被告を相手方として、東京簡易裁判所に本件和解の和解契約履行請求の調停を申立て、同調停事件は、同裁判所平成五年(メ)第一四二号事件として事件係属したが、同調停事件は、同年四月二七日、調停不成立により終了した。

(3)  しかるに、被告は、原告に対し、右調停事件の調停不成立による終了の直後である同年四月二八日、同年五月七日付をもって原告を競輪学校の専任の守衛勤務に移す旨の配転命令(以下「本件配転命令」という。)を発した。

(4)  本件配転命令は、本件和解の別紙和解条項一項2に明記されている「補助業務」との和解内容に明白に違反するものであり、無効である。

5  被告の本件配転命令は、本件和解上の就労提供義務の債務不履行又は本件和解によって認められた就労請求権の故意による侵害に該当する。そして、原告は、被告の右侵害行為によって、著しい精神的苦痛を被ったが、この精神的苦痛を慰謝するに足りる損害賠償金の額は、金六〇〇万円が相当である。

よって、原告は、被告に対し、本件和解に基づき、本件配転命令の無効であることの確認並びに被告が原告に対して別紙和解条項一項1(1)ないし(4)、3(1)及び(2)、5(1)に記載の各業務に就労させるべき義務を有することの確認を求めるとともに、不法行為に基づき、損害賠償金六〇〇万円及びこれに対する本件配転命令による守衛業務就労開始日である平成五年五月七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の各事実は、いずれも認める。

2  請求原因2の各事実のうち、2(2)の事実は否認し、その余はいずれも認める。

3  請求原因3の各事実のうち、原告と被告との間で旧事件につき本件和解が成立したことは認め、その余はいずれも否認する。

4  請求原因4の各事実のうち、別紙和解条項一項3(3)、4(1)及び4(2)記載の各業務以外の業務につき原告が再三再四にわたり就労を要求したことは否認し、4(4)は争い、その余はいずれも認める。

5  請求原因5の事実は、否認する。

三  抗弁

1  本件和解の和解条項には、別紙和解条項一項2のとおり、「校内の警備、保安に関する補助業務」が含まれている。

2  本件配転命令は、別紙和解条項一項2の規律する範囲内にある。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1の事実は、認める。

2  抗弁2は、争う。

(原告の主張)

別紙和解条項一項2は、「補助業務」としての守衛業務を規定するのみであり、「専任」の守衛業務を含むものではない。

第三証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一(当事者間に争いのない事実等)

1  請求原因1の各事実、請求原因2(1)の事実、請求原因3の各事実のうち、原告と被告との間に本件和解が成立したこと、請求原因4(1)の事実のうち、被告が原告に対して別紙和解条項第一項3(3)、4(1)及び4(2)の各業務(主として清掃業務)を命じ、本件和解のその余の業務については原告の就労を拒否していること、請求原因4(2)及び4(3)の各事実、以上の各事実については、いずれも当事者間に争いがない。

2  本件の主たる争点は、本件和解の趣旨、とりわけ、被告に対して原告につき原告の望むような内容の業務に就労することを請求することのできる具体的な就労請求権が発生するか否か、本件配転命令による専任の守衛業務が本件和解による合意内容に含まれるか否かである。

二(争点に関する判断)

1  (本件和解の拘束力について)

(1)  一般に、雇用契約は、双務契約であって、契約の一方当事者である労働者は、契約の本旨に従った労務を提供する義務を負い、他方当事者である使用者は、提供された労務に対する対価としての賃金を支払う義務を負うが、特段の事情がない限り、雇用契約上の本体的な給付義務としては、双方とも右の各義務以外の義務を負うことはない。したがって、特段の事情がない限り、労働者が使用者に対して雇用契約上有する債権ないし請求権は、賃金請求権のみであって、いわゆる就労請求権を雇用契約上から発生する債権ないし請求権として観念することはできない。本件において、原告は、右特段の事情として、訴訟上の和解としての本件和解又は本件和解の私法上の和解契約としての拘束力を主張するものと思われる。そこで、当裁判所は、このような認識・理解を前提に判断をする。

(2)  まず、本件和解の成立及び本件和解の内容が別紙和解条項のとおりであることについては、当事者間に争いがなく、本件和解の法的有効性及び原告・被告双方に対する私法上の和解契約としての契約上の拘束力の存在についても、特に争いはない。

したがって、当裁判所は、本件和解の私法上の和解契約としての拘束力の法的範囲において、原告の本件各請求の当否を判断すべきである。

(3)  そこで判断すると、本件和解の別紙和解条項一項は、形式的には明らかに確認条項であって、給付条項でも形成条項でもない。したがって、和解条項の規律形式及び確認条項という形式による和解条項について一般に承認されている認識・理解(又は訴訟慣行)を前提にする限り、同和解条項によって、原告に具体的な就労請求権が形成されることもないし、また、被告について原告に対する具体的な就労を内容とする給付義務が確定されることにもならない。その意味で、本件和解によって具体的な就労請求権が発生するとの認識・理解を前提とする原告の主張は、明らかに失当である。

(4)  それでは、本件和解の確認条項(別紙和解条項一項)によって確認されたのは何であったのかについて判断すると、本件和解の和解条項それ自体の文言解釈に加え、(人証略)の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、旧事件における主たる争点は、原告の業務内容が栄養士又は衛生管理の業務を含むか否かであったが、これを肯定することを主たる内容としつつも、旧事件における被告の主張をも同時に承認して、本件雇用契約に基づいて原告が提供すべき労務内容は、栄養士及び衛生管理の各業務を含むが、これのみに尽きるものではなく、別紙和解条項一項に記載のとおりの各業務の範囲内であることを確認する趣旨で本件和解が成立したものと認められる。そして、別紙和解条項一項に記載の各業務は、同一の人間が同時に遂行することを予定するものではなく、相互に併存可能な業務であることが各業務の内容それ自体から明らかであるから、使用者である被告において命令可能という意味でのいわば原告に対して労務の提供を請求することができる業務のカタログであることになる。

反面、そもそも雇用契約における使用者は、その雇用する労働者に対して、労務の提供を請求する債権又は請求権を有する以上、当該雇用契約において労務内容を限定する合意がなされているなど特段の事情がない限り、就労内容及び就労場所の指定につき広範な経営上の裁量権を有し、それゆえに、使用者から労働者に対してする配転命令についてもまた、広範な裁量権があると解するのが一般的な理解である。しかるところ、被告と原告は、本件和解によって、原告の提供すべき労務の内容ないし範囲を確定する合意をしたのである。したがって、被告は、原告に対し、本件和解の和解条項一項によって確認された業務の範囲外にあるような種類・内容の業務を命ずることはできない。その意味で、本件和解は、被告が本来有していた裁量権を限定するという法的効果を有するものであると解すべきである。

(5)  以上を要するに、本件和解は、被告が原告に対して、別紙和解条項一項に規定する業務の範囲内で具体的な業務命令ないし配転命令をすることができる権利を有する反面、その範囲外の業務については、裁量権が制限されることを確認するものであるということに尽き、それ以上でもそれ以下でもない。

したがって、原告は、本件和解を根拠としては、被告に対する具体的な就労請求権とりわけ栄養士又は衛生管理の業務に就労することを請求することのできる具体的な請求権を有することにはならない。

2  (本件配転命令無効確認請求について)

(1)  前記認定及び判示のとおり、本件和解によって、被告が原告に対して命ずることのできる業務内容の範囲が確認されたのである以上、被告は、本件和解の規律する範囲内の業務であれば、原告に対し、具体的な就労内容の変更ないし就労場所の指定をすることができるが、この範囲外の業務を命ずる命令は、無効である。

(2)  そこで判断すると、被告は、本件配転命令の根拠とするのは、別条紙和解項一項2の「校内の警備、保安に関する補助業務」である。

ところで、原告が本件配転命令によって命ぜられた業務内容が専任の守衛業務であることについては、当事者間に争いがないところ、原告は、守衛業務それ自体が別紙和解条項一項2所定の「校内の警備、保安」 に関する業務に含まれることについては特に争わないものの、原告が命ぜられている守衛業務が「専任」の守衛業務であることにつき、右和解条項に所定の「補助」業務の範囲外にあると主張するところである。

(3)  この点に関しては、前記各証拠によっても、別紙和解条項一項2に「補助業務」との文言を加えることとなった経緯は、かならずしも明確ではないが、おそらく、本件和解成立当時の時点においては、原告は、単純に栄養士又は衛生管理の業務に戻れるという和解であって、現実に守衛業務を命ぜられることはないであろうと即断し、他方、被告は、原告に対して、現実に栄養士又は衛生管理の業務を命ずるつもりはなかったものと推認されるから、この「補助業務」なる文言については、その趣旨等についての明確な意思確認を経た上での合意形成はなかったものと推定すべきである。

かかる場合、原告が本件和解の有効性を争っていないことは一応措くとしても、別紙和解条項一項2の全体が無効になるのではなく、当事者の合理的な意思解釈によって和解条項の規律する内容を確定すべきである。

そこで、右の観点から検討すると、弁論の全趣旨によれば、本件和解当時においても現在においても、競輪学校の守衛には、専任の守衛のみが存在し、他の業務を主たる業務内容とする者で守衛を兼任している者はなかったことが認められるから、要するに、守衛業務と言えば専任の守衛業務を指すことになると判断する。また、競輪学校における本来的な業務は、競輪選手の育成であって、その意味では、栄養士も衛生管理も守衛業務も、いずれも、競輪学校における本来的な業務との関係では補助的業務たる性質を有する。したがって、本件和解の担当裁判官である坂本宗一裁判官(当時・<証拠略>)もまた、右のような一般的な認識の上に立って本件和解を取りまとめの(ママ)であろうと推測され、このような推測を妨げるに足りる証拠はない。

そうすると、右「補助業務」なる文言は、被告の守衛業務との関係では、特に意味のある文言ではなく、したがって、被告は、原告に対し、本件和解によって確認された原告の業務の範囲内にあるものとして、専任の守衛を命ずることができると解することができる。

(4)  してみると、本件配転命令は、本件和解に基づくものとして適法であって、この点に関する原告の主張は、理由がないことに帰する。

3  (就労請求権確認請求について)

既に判示のとおり、本件和解は、原告主張のような意味での具体的な就労請求権としての別紙和解条項一項1(1)ないし(4)、3(1)及び(2)、5(1)の業務を内容とする就労請求権の発生原因とはなり得ない。したがって、この点に関する原告の主張は、失当である。

4  (慰謝料請求について)

ここまで判示のところから明らかなとおり、原告は、被告に対して、本件和解を法的根拠とする具体的な就労請求権を有せず、存在しない就労請求権に対する侵害行為というものも存在し得ないから、結局、原告の本件慰謝料請求もまた失当である。

三(結論)

以上のとおりであるから、原告の本件請求は、いずれも理由がないものとして棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日・平成九年一月二一日)

(裁判官 夏井高人)

(別紙) 和解条項

一 原告と被告は、原告が行う業務の内容が次のとおりであること、および原告はこれらの業務を上司の指示に従って行うことを確認する。

1 学校に勤務する者の健康管理に関する補助業務

(1) 年二回実施する健康診断に関すること

(2) 校内の職場環境の巡視に関すること

(3) 教職員の健康相談、健康管理に関すること

(4) 医師の補助としての衛生委員会に参加すること

2 校内の警備、保安に関する補助業務

(1) 守衛所の業務に関すること

(2) 校内の巡視に関すること

3 学校施設等の保全管理に関する補助業務

(1) 校内施設等の補修、改修に関すること

(2) 校内施設等の維持管理に関すること

(3) 校内清掃等雑務

4 入学試験、卒業記念レース等学校行事の補助業務

(1) 行事に関する諸準備に関すること

(2) 行事に関すること

5 その他雑務業務

(1) 生徒に関する資料の整理

(2) その他

二 原告はその余の請求を放棄する。

三 訴訟費用は各自の負担とする。

以上

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